土はタイムカプセル

新里亮人

(伊仙町教育委員会 学芸員)

人類と土の付き合いはとても長い。過去の人々は土を利用して様々な道具を作ってきたし、土地を開発して地中に自らの生活痕跡を残してきたからだ。考古学者は、埋もれた遺跡や遺物の調査・研究によって人類の歴史や文化を明らかにすることが役目なので、土との関係は切っても切り離せない。
近年の考古学では土を用いた造形物や地面に掘り込まれた住居や墓だけではなく、土壌も分析の対象とされる。土中に残された植物遺体、花粉、植物珪酸体など小さな物質を回収し、それらの科学分析によって、遺跡周辺の生態環境を復元する方法が発掘調査現場に導入されたからだ。
2014年、伊仙町教育委員会は、畑地整備の事前に行なう発掘調査によって水田と推定される遺構を発見した。遺跡は徳之島南部の伊仙町面縄に位置し、所在地名をとって前当り遺跡と名付けられた。出土遺物の特徴から、時代は今から約1000年前の平安時代の終わり頃と推定され、琉球列島において農耕が開始された時期と合致する。水田の近くには住居や墓が作られており、集落の隣接地に食糧生産の場が設けられていたのは明らかであった。

 

図1 前当たり遺跡での土壌サンプリング

遺構が水田であるかを証明するには、畔や取水路などの施設を発見することが肝心だが、それが難しい場合には土壌の分析によって生産物の痕跡を見つけ出す方法が採られる。前当り遺跡では、水田を水平に保つための造成面や水を溜めるための畔の痕跡が確認されたが、この地でイネが生産されていたことを証明するには、その種子、花粉、珪酸体(プラント・オパール)をセットで検出する必要がある。そのため、水田と見られる土壌を丹念に採取し、サンプル採取地点の測量図上への記録を進めた(図1)。採取した土壌は土嚢袋約500袋におよび、それらを事務所に持ち帰って水洗し(図2)、回収された炭化物の同定を現在進めている。それと同時に、花粉やイネ珪酸体の検出に向けた分析も依頼しているので、近いうち調査の成果が公表できると思う。

図2 土壌水洗の様子

さて、土壌から発見された小さな植物遺体などは、自然条件(乾燥によるひび割れ、動物や昆虫の活動)によって現生資料が地中に運ばれることがある。これをコンタミネーションと呼び、土中より回収された微細な遺物がいつのものかを判断するには、これらの放射性炭素年代測定を併せて実施して、回収資料そのものの年代を把握しなければならない。
こうした手続きを必要とせず、近年大きな成果をあげているのが土器圧痕の分析である。土器の表面には、植物や昆虫の圧痕(スタンプ)が確認されることがしばしばあるが、そこにゴムを流し込んで型取りし、ゴム型を電子顕微鏡で観察することで圧痕の正体を突き止める方法である。圧痕は柔らかい粘土の状態、すなわち、土器が焼かれる直前にしか付き得ないことが特徴で、土器と圧痕が同時代に共存していた確かな証拠となる。

 

図3 面縄第2貝塚発見のコクゾウムシ

伊仙町教育委員会が調査した面縄第2貝塚の土器中にも圧痕が確認され、それはコクゾウムシと同定された(図3)。土器は貝塚時代前Ⅳ期 (縄文時代後期、約3500年前)のもので、おそらくドングリなどの貯蔵穀物に住み着いた害虫だと推定されている。また、2006年に発掘された川嶺辻遺跡の出土土器を改めて観察したところ、グスク時代(平安時代末~鎌倉時代、約1000~700年前)におけるイネの圧痕を見つけることができた。本遺跡の土壌水洗によって得られたイネは、分析の結果15、16世紀と結論づけられていたが土器圧痕の発見によってさらに古い時代からイネが栽培されていたことが確実となった。

図4 川嶺辻遺跡出土土器に残されたイネ圧痕

このように、土壌や土器から小さな資料を探すことは、当時の文化や人間を取り巻く自然環境を復元することにつながる。土は遺跡の上で起こった過去の出来事を記録する優れたレコーダーであり、我々考古学者はこれからも土に触れ、入念に観察することで先人の暮らしの知恵や古環境の有り様を後世に伝える努力を続けなければならない。